昭和51年06月01日 月次祭



 信心は拝む事ですと言う拝む、確かに拝む事だとです。拝むと言う事はただ手を合わせて、と言うだけではないと思うんです。私は拝むと言う事は頂くと言う事だと、だから拝んで頂くと言う事になるのでしょうか、今日吉井の熊谷さんがお届けをされます中に、十日位前でしたでしょうか、お便所を拝んで大変御かげを頂いた、又頂いて居ると言う先生の御話しを致しました。その話しを頂かれて、本当に自分達の信心の目の粗い事、改めて気付かせて頂いた。
 お便所を拝む、勿論拝むからには綺麗にしなければいけません。そこには花の一輪も指さして貰うと言う様に、矢張り何時も清めておかなければならない。綺麗にしとかなければ拝みにくい、塵だらけの所は中々拝み難くか、そしてから私は感じました。もうお便所は造花で良かと思うとる造り花です、よくあの便所に造花がして御座いますよね、もう替えんでも良かごと、ちょっと一年中同じ物がこう指して有る、ところが今日の御話しを頂いて十日前の話し、本当に拝むからには矢張り綺麗にしなければならない。
 綺麗にするからには、お花も自分が見て楽しいと言うのではなくて、矢張りお便所を御守護下さる、神様へ対する御供えなのだから、それは毎日生き生きとしたお花を、しかも毎日お水を替えて上げようと思えば、今熊谷さん所辺りは大変屋敷が広いから、草花なりと色々な花が四季折々に咲くのですから、そうさせて頂こうと思うて、清めるだけではない、お花も便所の中の神様に御供えする積りでそうさせて頂いて拝んだ。私はそしてそう言う風にこう、綺麗になさったりお花をなさったり。
 今までの思い違いを詫びるところへ、頂くと言う事になって来る。それ以来私はもう十日も二十日も、秘結を致しておったのがおかげを頂いて、今日まで快便のおかげを頂いて居る。昨日から今日に掛けて実際、不思議な事が幾つも御座いますけれどもと言うて、そのお話しをお届け、お礼のお届けがありました。そこで皆さんほんなら帰って真似しようと言うただけではいかんのですね、今日からいっちょ拝もう所がここだけでも努力しなきゃ、中々あのう出けんですよ、帰ってからあら忘れとったと言うてから。
 もう何時だってから拝んで行かんきゃいかん、こりゃもう本当にそうです。あのう以前の椛目の時代をご存知の方がありますでしょうが、あのう行き当りの廊下長い畳半枚もない位のこう廊下があります。そして行き当りがお便所です。そこにだい分歩いて行かなけりゃならん廊下を、でその時分は便所に電気が無かった。夜はだからその明かりを点けなきゃあならないと、言う様な不自由な事でした。そこに段々お参りが多くなって、皆さんが色々心使われて、そこに小さい豆電球が灯く様になった。
 もうそれでもう大変便利を感ずるし、有り難く感ずる訳です、だからこちら廊下を行く時拝んで行くんです、拝んで行く時に扉にねお勇みが付きよりました。確かに便所の中にも神様が御座る事が分かります。便所の中にも、天地の親神様のお働きと言うものは、あっておると言う事で御座いますね。ですからまぁお所と言えば、汚いところでしょうけれども、でも拝むと言うんですから、何もかにも一切がっさいが拝む、もう拝む時間位問題じゃないです。
 面倒くさいごとあるけれども、それが身に付いてしまうといよいよ拝んで頂く、本当の信心生活が出ける様になると思います。もう考えて見ますとどう言うそれこそ。お薬を飲むよりも浣腸するよりも、本当に例えば便所を拝んで頂くと言う心になれば、熊谷さんが今日されます様に、いわば不思議な御かげを下さる。と言う事です。そう言う神様と私共との、いわば関わり合いと言う事で御座います。関係なんです。どうぞ氏子信心して御かげを受けてくれよ、氏子信心してどうぞお徳を受けてくれよと。
 あの世にも持って行かれこの世にも残しておけれるもの、信心の無い間は心配をする、身に徳を受けると心配は無いと仰せられる。その心配は無い生活、安心の生活喜びの生活、そう言う生活の出けれる様になる事を、目指す事が信心の稽古です。又そう言う心の状態がそのまま、あの世まで続くのであり、そう言う働きをする力を御神徳と言うのですから、それが子孫にも残ると言う事になるのです。今日合楽の田中さんが、今朝方から御夢を頂いたと言うて、お届けが有りました。
 あちらの御仏壇の中に毒蛇が入っておった、まぁひらくちの様なもんです。それを子供が知らずにこうやって触ろうとしてる。それでお祖母さんびっくりして、その子供に怪我をさせちゃならんと思うて、自分の腕を出して自分の腕を噛まして、その子供達やら孫達を助けた。そして自分は直ぐまぁその平塚病院かどっか解らんけれども、まぁ平塚病院のごたったと言われるに走って行って、それを先生に診て貰ったち、まぁこりゃ早うして良かった、こりゃもう遅うどんしとったら、命に係わるところだったよと言うて。
 まぁ御かげを頂いたと言うお知らせであった。それも久留米の稲垣さんがお参り、御届けを今朝からされました。それもお夢なのです。家族三人で飛行機で何処にか、旅行に立とうとしておられる。切符が三人買わなければならないのに、満員で一人が乗られない、それでその稲垣さんがそれでは私は次の便に致しましょう。貴女方だけ先に行って下さいと、誰かが次の飛行機は小さい飛行機で、もうこうやって屈んどっても足が痛いごと、小さい飛行機ですよと言われたけれども。
 いや私はそれで良いと言うお夢であったと言う。私はこの二つのあのうお夢を頂かして貰うて、今朝から頂いた御理解を、又改めて考え直さして頂きました。信心はやはり御かげの世界に出る事であります。矢張り難儀のところから信心が始まります。又は観念の中に困った時の神頼みと言う様な、信心が私共の頭の中に有ります。今朝の御理解には言わば信心を頂いて、おかげを頂いて一日お礼参りをさせて貰わなければ居られない。御礼参りの信心によって、お徳を受けて行こうと言う様な御理解だったけれども。
 今合楽の方達の信心は、どう言う所を辿っておるだろうか、田中さんが頂かれたお夢、又は稲垣さんが頂いとられるお夢、丁度その辺の所が合楽の信心の、皆さんが頂いて居られる所じゃなかろうかと、言う風に今日は思わして貰いました。信心をさせて頂いて居りますから、自分の身に犠牲にすると言うか、空しうすると言った様な稽古を致して居ります。子供やら孫に噛み付いちゃならんから、自分の腕にそのうまぁ毒を、自分の身に受け様とこう言われる。そして走ってまぁお医者に行ってあのうおかげを頂いた。
 誠の信心だとそう言う程度のところのおかげ、そしておかげを頂いた、おかげを頂いたと言うて居るのじゃないかと思います。信心とはその私は毒ひらくち、なら毒ひらくちをです、自分の頂いて居る有り難い勿体無い恐れ多いと言うね、言うならば度の強いアルコールの中にそれを漬けて、その毒を変じて薬にして行くと言うところにあると思うです。これは信心して居らなければ出ける事ではない。自分の身の犠牲にして、稲垣さんの場合でもそうです。
 いんにゃ私は小まか飛行機で行くと言うのじゃなくて、私は次の飛行機で行こう、小まい飛行機でも良い、足が痛かってもそれは辛抱する。そう言う所が信心をして、段々出けて来よると言う事なんです。けれども信心によって徳を受ける。信心によっておかげを受けると言う事は、毒を変じて薬にして行くと言う事であると同時に、例えばね切符は例えば二枚しか無かったけれども、ちょうど私共が参りましたら。或る一人の人が切符を返しに来て私も一緒に乗る、その親子三人一緒に旅行が出けたと言う様な。
 おかげを受けると言う事は、もう徳を頂いた者の世界なんです。私は小まか飛行機でん良か、足が痛かっちゃ良かと言うのじゃ無い訳です。例えばそこに毒ぐらい、ひらくちであっておってもです、その毒を自分の身に受けてです、そしてその子供達を助けて、自分な走って医者に行くと、そして本当御繰り合せ頂き御かげで助かったと言うだけでは無くてです、その毒薬毒を持っておる蛇を自分の、有り難き勿体無き恐れ多きの中に漬けて、それを言うならマムシ焼酎にどもしてですね。
 御かげを頂いて行かなければいけんのです。昨日は月末御礼会で御座いましたから、皆さんが色々発表して居ります中に、秋永嘉郎さんが発表して居りました。何時ぞや親先生に頂いた御理解なんだけれども、最近はその御理解がもう自分の身の上に感じられて、もう本当に自分の見苦しさ、自分の汚さがもう解ってへきえきとする。シロクのガマのお話しであった。あのシロクのガマと言うのはね、その鏡を四方鏡の中に箱の中に入れるんです。そして自分の身体の余りにも見苦しいので。
 それこそどちらを見ても自分のその厭らしい、自分のその姿が見えて来て、もうそれこそ生汗をたらたらと流す、油汗を流す。その流した油をね何日か何日か何十日か煮詰めたり、炊き詰めたりして、そのまぁ傷薬の何んかにすると言うお話しです。今ちょうど自分はその鏡の中に居る様な思いが致します。いよいよ自分の汚さ見苦しさが、もうへきえきとする様なと言う発表を致しました。お互い信心をさせて頂きゃると、自分が見えて来る、信心とは自分が解る事だと言われます。
 ですからそれを解っただけではいけん。油が流れただけではいけん。本当にその油をです、搾り取って煮詰めて、そしてそれは人の傷薬りにもなろう、例えば命を救う助ける様な働きにもする様なところまで、行かなければお徳にゃならんのです。自分の見苦しい所が解って、見苦しい所が続けられておったんでは値打ちは無い訳です。見苦しい所が解ったら、自分でも汗が出る様な思いがするならばね。それをです私は取っちめて煮詰めて、そしそれを言うならば。
 人が助かる自他ともに助かって行く様な働きになって来なければ、私はそれがお徳を受けて行く道だと言う風に思います。もう二十年もなりましょうか、まだ菊栄会でその旅行を致しますが、以前でしたかやっぱ菊栄会のそれに秋永先生達も入って居りました。何人の御届けでしたでしょうか。私があの熊本の阿蘇山を見た事が無いと言うので、行く事になりました。大変寒い毎日雪が降り続いておると言う様な時でした。いよいよ皆んなが集まって出発しようとして居る所へ、田主丸の小野先生から電話が掛かって来た。
 先生方が今日はあの阿蘇行きなさると話しを昨日聞いて居りましたが、今ラジオで放送しとります、あの道は皆んなあの交通止めになって遮断されて居ります。今日はおい出られても阿蘇と言えば火口には登られません。だから見合わせて他の所になさったがいいですよ。と言うてわざわざ親切に電話を掛けて来て下さった。けれどもまぁ御願いをしてある事だからと言うてそれを聞いて、私共はあちらへ参りました。参りまして阿蘇に参りましたと同時にそのちょうど、あの道の交通止めになっておるそのあれがね。
 取り除かれておるところで御座いました。まだ誰ぇも通らないところのもうそれこそあの、火口以外のその阿蘇の雄大な雪景色の中をそしてあちらで、こう言う阿蘇はとても本当に珍しいと、底までも眺められると言った様な、奇跡的な御かげを頂いて帰りました。私は思いますのにねぇ、御神徳を受けると言う事はそう言う様に、天地が私共の何時もバックであると言うものを感じれれるところまで行く、又頂かして貰うと言う事が御神徳だと言う風に思うんです。
 まぁそう言う例を申しますと、合楽では有りますね沢山。もうこれもやがて二十やんがて三十年にもなりますでしょうか、その話しを偶々先日、正義さんと文夫先生と私の足を揉んで下さりながらあの時分の話しをして、ほんにあの時分な僕どんがピーピーだったからね、と言う話しを二人でしているんです足を揉みながら、まぁ段々おかげを頂いて来たもんじゃあるねと言う訳です。まそれよりちょっとまだ前です、あのう秋永先生の所で、確か霊祭か何かがありました。
 それで御親戚やらみんな招待を受けて、博多の平和楼か何かって言う支那料理屋が出けておったから、その支那料理の御馳走によばれたんです。それで私は支那料理は詳しいし、注文の仕方も知ってますから、ひとテーブルとこう言って居る、だから私がひとテーブルを横にした分では、あのう数がおしつけますからね。だからそれを縦に取んなさいと私はこう言う、そしてあの支那の酒のとりつかたいつだったかを何本下さい。何本注文しなさいとこう言うたんです。そしてまぁ皆さんいい加減に酔うてよばれて。
 そしていよいよ支払いを致しましてから、後から帰ってからです。大橋の上で先生もうふとんごとごとなかったちゅう訳です。あんたあのう支那料理のお金はちょうど私の財布に入ってるシコだったと言う。あれがひとテーブルと言ってらあの倍掛るとじゃから、あらもう大変な事になる、先生が半分と言うて頂いたおかげで丁度良かった。それあのう胚酎何本それ共きっちり私が持って居るだけだった。処が帰りがけの電車賃が無かった。自分たちは自動車も何もまだ持たん時ですから、帰りは又電車で帰らんならん。
 そしたらその洋服のポケットの中に、その皆んなが乗るだけの切符代が入っておった。あぁ本当に神様は見通しだと言うて、言う様なまぁ話しなんです。そう言うなら話しはならここ何十年間の間には、まぁ随分色々とあります。皆さんも体験なさった事だと思いますけれどもね、そう言う例えば御かげの頂けれる世界があるのです。自分が必要な時には必要なもの必要が必要に応じて頂けれるんです。だからそう言うそう言う御かげを受けてくれよ。そう言う御かげを下さろうと言うのが神様の願いなんです。
 今日或る方が今日はそのもうとにかく兄弟、その弟さんがもうとにかくだからもう親戚皆んな、こう集まって今日話し合いをすると言うので、その弟は何処か行ってから居らんと言う様な事だったらしいんです。それ話しを聴くと聞いておって、こちらの方がもやもやするごたる。その様な状態ですけれども。何時も私がその方に言うのは「大きゅうなんなさい、大きゅうなんなさい。」と言う事です。今日も私その方のお頂かして貰いよって、ほんな事もうもやもやすんのうと、こっちから言うごとあるけれども。
 神様にお願いさせて頂きよったら、太平洋の洋と言う字を頂いた。洋々と処が三ずい偏の、この三ずいが丁度この棒を引っ張った様に片一方を、こう棒の引っ張った様にして柱にこうですかこう頂くんです、そこで私はねその方に今度来た時に、さぁそこ迄お話し致しましたから。今度来た時にまいっぺんもう一言言うて伝えて置かなければならないと思うた事なんですけれど。例えばそう言う状態であっても、家庭の経済なら経済の上に、そう言うろくそな事をしよる兄弟がおったりしておってもです。
 だだ目が合うてもし行きよるとするならばです、これはやっぱりいよいよ神様の御都合じゃから、いよいよ大きくなる事を楽しゅう大きくならにゃあいかんね、と言おうと思うております。だから普通で言うたら辛抱も出けん様な所ですけれども。神様の働きをです、そこにはっきりと見聞かせて貰うて、そしてからの辛抱ですから楽しいです。そしておかげ頂かん筈は無いと言う心の状態が開けて来るです。
 信心はなたぁだ辛抱しとけ辛抱しとけと言う、その辛抱力では言うならば我が強うなる様なものです。けど神様の働きをそこに見、そこに聞いてのいわば何年間である。言うならばあぁこれによって神様がいよいよ大きくならして下さりよるなと、言う事を自分で実感させて貰えれる修行です。そこで私共が日々ですひとつ先ず面倒くさいごとあるけれども、自動車にでも下駄にでも一切矢張り感謝をする。
 いわゆる拝まして貰い、そして頂かして貰うと言う生き方からです。熊谷さんではないけれどもそう言う、いわば心の状態にならなければ頂けない、おかげの展開があるのです。お便所を拝むだけではいかん、拝むからには清めなければいけない、清めたならばもう造花じゃいかんごとなって来た。それでまぁ水々しいお花が一輪も差さなければ居られなくなって来る。その上拝まして頂く使わして頂いたら、おかげで用を足さして頂いた事を、お礼を申し上げると言う様な心の状態にならして貰う時にです。
 長年十日も二十日も秘結して居った熊谷さんが御かげを頂いて以来、快便のおかげを頂いておる様なおかげが、便所いわゆる便所を拝むと言う事は、便所でさえ拝むのですから。もっともっと周囲の一切を拝まなければならない事が分る。頂かなければならないと言う事が解る。女が菜園に出て神様頂きますと言う心あらば、障る事ないと教えて下さるんですから。その拝んで対象を拝む心、又それを煮て食する時に頂きますと言う心あらばと言う、その二つが信心の中身になって育って参ります時に。
 言うならば熊谷さんが言っとられる様に、今までの信心は随分目の詰まった信心しよるごたった。朝参り夜参りしよったから、大概の信心は出けておる様に思ったけれども。目の粗い事に気が付いて驚いて居ります。便所をこの様な頂き方拝み方をさして頂く様になったら、こう言うおかげを頂いて居ります。と言う様なそういう言うならば信心からです。そこに生まれて来るその体験がです。
 例えば事の前後に難儀の前後に、神様の働きと言わなければ居られないものを、感じさして下さるのですだから辛抱が出ける。言うならば有り難ぁく信心辛抱が出けるのです。いよいよ豊かになる大きゅうなる。その豊かな大きな心に頂ける所の御かげがです、必要なものが必要に応じて、言うならば天地が如何にも私の行動を見守って居って下さるかの様に、天地が私の自由になって下さると言う程しのおかげの頂けれる信心、そう言う信心を目指さして頂かなければならんと、言う事で御座います。  
   どうぞ。